◆ぶぶ漬け

京都に暮らして5年目になりました。これまでもいろいろな土地に暮らしているのですが、初年度、3年目くらい、5年目くらいでその土地に対する思いが変化していくように思います。初年度は大抵楽しく、夢中のままに過ぎてゆき、3年目くらいでかなり分かった気になり、5年目くらいでその土地の隠れた良い面、悪い面に気付くようになるといった感じでしょうか。

今年私は京都生活5年目に入って、それまでは見えてなかった別の京都の顔が見えてくるようになった気がしています。

京都といえば、「ぶぶ漬け」を思い浮かべる他府県の方も多いと思います(お茶漬けでも食べていきなさいと薦めつつ、実のところ早く帰るよう促しているという京都流儀)。

これに関して、初年度は「そんなことないな」と思っていましたが、3年目くらいで「まあ一部ではある話なんだな」と思い、最近は「今、私、”ぶぶ漬け”やられとるー!」と分かるように。といっても、京都も広く、古い風習が残っているのはごく一部であることは間違いなく、私のように京都にお嫁に来たわけでもなく、仕事も京都でしていない人間にはほとんど関係無いので、無神経な田舎者としてのびのびやっています。

ところで食いしん坊として、最も気になっていたのは、京都には一見さんお断りや取材お断りでクチコミでしか伝わらない名店がたくさんあって、余所者はなかなか京都の美味しいものの神髄に触れられないのではないか?ということだったのですが、これに関して1年目は「そうでもないような気がするがよく分からない」と思い、3年目は「そうでもないな」と思い、今は「確かに少しそういう場所もあるけど、だからといって余所者がそこに行って満足出来るかは謎」と思っています。

これは、京都で生活している人が行って美味しいと思う場所と、京都に遊びに来た人が満足出来る場所は同じではないと思うからです。生活している人にとっては、思いついたら行ける場所にある、手軽に美味しいものが食べられるところが良い店で、そこには家から近いとか、知り合いがやっているとか、思い出があるとかそういう要素も大事。

一方遊びに来た人は、お店のある場所の「京都らしさ」や内装も味のうち。折角京都に来たのだから、京都らしい華やぎのあるところで食べた方がより満足出来るのではないかと思います。京都に嵌ると、「より通な方へ、人のいない道へ」分け入って行きたくなりますが、マダム向けの女性誌で取り上げられているお店などがやはり、「京都らしく美味しい」お店の代表的存在で、無理に京都の人が通う、マスコミ不出の店を探し出して出掛け、居心地の悪い思いをする必要はないのではと思います。

とはいえ、こうした感想も年月を重ねると、また変わってくるでしょうから、次にどう思うかが楽しみでもあります。