捨てるのが辛い理由

◆捨て作業が辛い理由

絶賛モノ減らし中ですが、モノを選別していて、客観的に見たら明らかに必要ないものなのに、捨てるのを戸惑ってしまうもが出てきます。
断捨離やお片付け系の動画を見ているときは、「そんなの捨てちゃえばいいのにー」と思って見ているのに、いざ自分ゴトとなると、必要ないものをキープしようとしてしまう自分が出てくる。
どっからその「捨てたくない」が出てくるのか自己分析してみました。

私の場合捨てるのが辛い理由は主に2つ

未来を捨てる気がするから

②手放したら手に入れることが不可能なものがあるから

このうち、①の未来を捨てる気がするものを、この度徹底的に捨てました。

◆捨てたら未来を捨てる気がしていたもの

傍から見たらバカみたいだと思うのですが、カサ張ってるのに捨てられず、何十年も死蔵し続けたもの、それは修士論文などの論文と、その作成時に参照にした論文をプリントアウトしたもの。
小さめのダンボールに一杯あったのですが、度重なる引越しでも精査されず、そのまま持ち越してきました。

ちなみに、これまで見返したことは一度もない

今回25年ぶりくらいにちらっと見ましたが、古っ
データが古すぎて震える!
研究手法が古すぎて震える!

私が何でこんなものを捨てずに持っていたかといえば、修士課程を修了した段階では30%くらい「将来博士課程に進むことがあるかも」と思っていたから。
この30%は1年に2%ずつくらい減っていって、現在は0%。というか10年くらい前からずっと0%

仕事に使う可能性も0%なのに、なんだか持っていた。
実際に博士課程に進む気は0%なんだけど、「博士課程に進むかもしれない」可能性が0ということに向き合いたくなかったのかも知れない。
いや、もはや博士課程には全然行きたくないし、論文も絶対書きたくないのですが、以前は持っていた可能性を失うことが深層心理で辛かったのか。

◆勢いづいてどんどん捨てる

修士論文を捨てたら、いつか手を付けよう思って取っていたものに冷静に向き合えて、語学の学習本なども「もうやらないな‥」と諦めがついて全捨て。
今後今以上に語学ができるようになることはない、という自分を受け入れました。

これまで書いた書籍の参考論文も、「質問が来たときにすぐ参照できた方がいいから」と全部プリントアウトしてましたが、全然質問も来ないので全捨て
ゆっくり読もう、と思っていた書籍も全捨て。老眼で読めない。特に洋書はもはや読む根性もない。もうDeepLなしには何も読めないわー。

さらに、自分の書籍もかなり捨てました
これは母が、私の本が出たときに内緒で応援購入してくれていたものが実家からごっそり出てきて、親の思いに涙なのですが、何十冊もはいらないので、少しだけ残して処分。

◆50代にもなると諦めがつく

論文も文献も自著も30代、40代で捨てるのは勇気もいるし、未来を捨てるようで辛く感じたのではないかと思うのですが、さすがに50代ともなると、そのあたりはもう諦めも付いているし、自分のこともよく分かっているので特に辛さはなし。

年齢的にもまだギリ体力、判断力もある現役世代なので、今まさに片付け適齢期なのかなとも思っています。


※この論文の何が大変だったて、元データがデジタル化されていないため、データをエクセルに打ち込むのに一番時間がかかったという‥。デジタル化されてれば一瞬で終わる内容なので、今なら修論に出来ないかもーーー(汗)
そして論文類はホチキスを外すのが地獄。

つづく。

※このブログはモノを過剰に持っている筆者が、今後の人生をスッキリ過ごすための片付け記録です。すでに断捨離や片付けなどにハマって、ある程度片付いた生活をしている方には全然参考にならないと思われます。人生も家もとっ散らかっている方、お仲間です。一緒に頑張りましょう!