食の話はなぜ宗教化しやすいのだろう

定額で雑誌読み放題のdマガジンに感銘を受けたこの夏でしたが、漫画に関してはしばらく前に友達に漫画レンタルサイトを教えてもらってから時々利用しています。

普段は食関係の漫画しか見ていないのですが、おすすめに上がっていてふと気になって「カルト宗教信じていました。」を読んでみました。

内容は、子供の頃から親の影響でカルト宗教に入信し、学校で友人を作ることや、希望の進路に進むことなどが出来ずに疑問を抱えながら信仰してきたものの、子供の病気がきっかけで洗脳が解けるまでが描かれています。

カルト宗教信じてました。

この漫画のあとがきの中に、

『中には「現在カルトにハマっているあの人に、これを読んでもらおう」なんて思われる方もおいでかもしれません。でも、正直にお伝えしますが、やめておいたほうがいいでしょう。

洗脳されている当の本人は(かつての私も含め)自分が洗脳されているなんて夢にも思っていません。むしろ、唯一無二の真理を知ることができているという、謎の優越感を抱いています。そして真理を知らない人、知っていても神の教えを守らない人を「いずれ滅びる気の毒な人、救いの必要な人」とみなしています。
 今思えば恥ずかしい話なのですが、要するに上から目線なのです。自分が見下している人の言葉が、心に響くことはありません。』(「カルト宗教信じてました。」たもさん 彩図社、おわりにより引用)

とあるのですが、これを読んで、まさに特殊な食事法にハマる人たちの気持ちが垣間見えた気がしてうなりました。

「健康になるための唯一無二の食事法を知ることが出来ている。これを実践しない人は、いずれ病気になる気の毒な人、救いが必要な人。」ということかー。

これまで食の話って何故宗教化しやすいんだろと思っていたのですが、この漫画から察するに、まずは自己否定(病気やアレルギー、肥満などが原因になりやすい)から入って、ある食事法で悩みから救われたという人たちと出会い(食の場合は本やセミナーなどが多いですね)、悩みを共有し、場合によっては悩みが解決することによって、より深く信奉していく、ということなのかと思います。

そして、その洗脳を解くのは結局は自分で気付くこと、自己否定をやめて自分を赦すこと、自己肯定ができるようになることなのではないかと、本書から学びを得ました。

まわりに特殊な食事法にハマっているいる人がいた場合、止めろと諌めたり、科学的根拠を説いたりするより、その人が自己肯定を出来たり、多幸感が持てる場を提供したりする方が効果があるのかも知れませんね。